義理親何でも介入は体裁のため!新婦ヘアメイクにも口出し決定の姑
私は現在37歳女性、電機メーカー事務 契約社員です。
夫は、40歳ケアマネジャーの男性です。
二人の出会いは、大学時代に失恋したばかりでしたが友達に強引に連れて行かれた合コンでした。
付き合って2年半でプロポーズ、それから半年後に結婚式を挙げました。
結婚式って姑の友人も呼ぶの?
結婚式はご祝儀制でした。
費用は400万で、ご祝儀は210万円ありました。
平日は彼の仕事が忙しく、毎晩終電に近かったので何も相談とか出来ませんでしたが、その分休日は何度も式場に打ち合わせに一緒に行きました。
また、披露宴の音楽にもこだわって2人で選曲し、その時はわざわざTSUTAYAでレンタルして録音して持参したりしてました。
ウェルカムボードも愛犬の写真を入れて2人で作りました。
私の親は衣装合わせにだけ来ましたが、夫の親は親戚への体裁があるので、色々と口出しをされました。
義理の親は、衣装合わせはもちろん、私だけ行けば良いはずのヘアメイクの打ち合わせまで一緒にきて勝手に決めて行くので、後日こっそり1人で行って変更してもらったりしてました。
姑はとにかく個性的な式にしたかったようでドレスの色も奇抜なのを押し付けて来たりと大変でした・・。
当時東京に住んでいたので、2人で好きで何度も旅行した北海道で近い身内だけであげたい、函館の異国情緒溢れる海が見える教会で挙げたい、など希望はありましたが、呼ばなければいけない身内がたくさん夫の親からリストアップされていたので到底叶いませんでした。
結局は理想とは程遠い派手な結婚式でした。
会ったことも見たこともない夫の親戚が大半を占め、お義母さんのお友達の方々まで来ていただきました。
結婚式会場選定は10件見学!義母の希望聞き入れに苦労
食事も殆どお義母さんが決め、私のお色直しも最低2回(3着)と言われたのでその通りにしました。
お陰で披露宴の最中の着替えの為の中抜け時間が多く、列席してくれた友達とゆっくり楽しむ暇もない慌ただしい披露宴になりました。
でも二次会はようやくしがらみから解放され、親しい友人達とゆっくり過ごすことが出来て結果的には良かったです。
やはりたくさんの親族を呼ばなければならないことが大変でした。
私は結婚したのが23歳と早めで夫も当時25歳だったので若い2人で結婚式の費用を賄うのが大変でした。
共稼ぎで同棲していたので私の給料はまるまる毎月貯金して、さらに食費を削るためにペペロンチーノとたぬき蕎麦ばかり食べてました(笑)
その甲斐あって費用は何とか捻出できましたが、列席者の親族は夫婦や子連れで参加するので、1人単価の30000円には及ばない組が多く、ご祝儀の計算の結果、かなりのマイナスになってしまいました。
式場もそれなりに人数入る会場と日取りで予約できるところがなかなか無く、10件ほど回ったと思います。
会場選定でも、食事決めでもやはりお義母さんの希望を聞くことが大変でした。
食事のメニューから私たちの衣装、招待状の色や、披露宴の席割り、席札作りまで何かと気になったようで色々と口を挟まれて、それをかわすのに苦労しました。
あとは遠方から来る人のお車代など一律にするか、実費にするかなど、考えることが山ほどあって大変でした。
義理親に借りは作りたくない!援助打診もお断りは後で後悔
席札作りが自宅での作業で、苦労しました。
席札の裏に新郎新婦から一言お礼メッセージを手書きで書くのが慣例になってしまっていたので私たちも勿論やったのですが、式がちょうど3月と決算期だったので残業で遅く帰ってから夜な夜な手書きで頑張りました。
お金の面では、自分で費用を用意するのが大変でした。
本意でない招待人数に合わせて費用ももちろん上がるので、親からの援助も打診されましたが、私は結婚式で夫の親にお金を出してもらうと、その後何も言えず従う人生になりそうな気がして意地でも借りを作りたくなくてせっせと貯金しました。
当日の結婚式の進行は、わりとスムーズだったのではないかと思います。
ハウスウェディングやレストランウェディングなどは衣装など外注で用意しなければなりませんが、私たちは結婚式場だったのでコーディネーターが手取り足取り順序だてて進めてくれました。
義理親の言いなりの部分がかなり多かったので何かと費用がかさみ、しかも結果かなりのマイナスになったので、もう少し親にも妥協してもらいつつ両者が気持ち良く準備できれば良かったなと今は思います。
あのマイナスの200万が今あればなぁ、と、子供がサッカー習いたい!と言われてお金のことで悩んでいる今、貰っておけば・・・と少し後悔しています。